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質問】従軍慰安婦問題について、あなたはどう思いますか?
【回答・205】 
■チハ
■お風呂利用2桁
■07/25(月)21:39
◆虐殺事件の証拠(資料)一覧◆

●済南事件
1.日本人犠牲者の名簿○あり
2.命令書×なし
3.当時の政府の認識○あり
(田中外相宛西田領事報告など○)

●通州事件
1.日本人犠牲者の名簿○あり
2.命令書×なし
3.当時の政府の認識○あり
(外務省の公式声明など○)

●南京大虐殺事件
1.犠牲者の名簿×なし
(日本も×、蒋介石政府も×、汪兆銘政府も×、南京安全区国際委員会も×、南京市民も×、誰も作成せず)
2.命令書その他公式文書×なし
3.当時の政府の認識×なし
(当時、日本にも×、何応欽にも×、蒋介石にも×、毛沢東にも×、国際連盟にも×、事件の認識×なし)

●カチンの森事件
1.ポーランド人犠牲者の名簿○あり
2.命令書その他公式文書○あり
(スターリンが命令し、内務人民委員部長官ラヴレンティ・ベリヤが命令書に署名○)
3.当時の政府の認識○あり
加害者のソ連○あり
被害者のポーランド○あり
濡れ衣を着せられたドイツ○あり
(事件3年後、収容所にいた元ポーランド軍将校、公務員、警察協力者、情報部員、憲兵隊員、獄吏等の遺骸を発見○)

●ホロコースト
1.犠牲者の名簿○あり
(犠牲者や強制労働者ら1750万人の名簿○)
2.命令書その他公式文書○あり
(ナチスの強制収容所などの実態が記述された約5千万件の公文書○)
3.当時の政府の認識○あり

●原爆投下
1.犠牲者の名簿○あり
2.命令書○あり
(7月25日、トルーマンの決定を受けてグローブスが作成した「原爆投下命令書」がワシントンの陸軍戦略航空軍司令官カール・スパーツに手渡され、ポツダムにいる陸軍長官スティムソン、陸軍参謀総長マーシャルが承認し、陸軍参謀総長代理トーマス・T・ハンディがサインした公文書○)
その他、膨大な文書○や記録フィルムなどの資料○あり
3.当時の政府の認識○あり
(日本にも○、アメリカにも○、世界中の政府にも○、認識あり)

●ソ連による日本人拉致・シベリア強制連行・殺害事件
1.犠牲者の名簿○あり
(死亡年月日、死因、埋葬地など全員○。犠牲者は50万人超で、ゴルバチョフ来日の際、名簿の一部のみ渡された)
2.命令書その他公式文書○あり
(マリク駐日大使がモロトフ外相に宛てた文書で、「1946年12月時点で、まだ生存している抑留日本人が105万人以上居る」と記載○)
3.当時の政府の認識
被害者の日本○あり
加害者のソ連○あり
第3国の米国○あり

●まとめ

日本軍による南京市民虐殺はなかった。

まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。

南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。

南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。

次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。

日本軍が占領した上海などに避難していた南京市民が徐々に戻って来たのだ。

陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。

日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。

また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。

日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。

虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。

支那軍による虐殺や戦闘中の誤爆による事故はあっても、犯人や被害者が特定されるような日本軍による虐殺事件はなかった。

最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。

よって、日本軍による南京虐殺事件は存在しない。

しかしながら、DARKKINESさんの言われる通り、世界では、南京事件も慰安婦強制連行も事実とされている。
中韓の悪質な嘘を何十年も放置してきた日本にも責任があると、私は思う。

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