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【質問】従軍慰安婦問題について、あなたはどう思いますか?
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■チハ
■お風呂利用2桁
■10/19(水)22:14
RRの中年さんへ
10月8日のRRさんの書き込みは事実に反しています。不勉強も甚だしい。若しくは、某国の様にわざと歴史を改ざんして、日本を貶めるおつもりですか。
創氏改名は朝鮮人の要望で始まったことです。
1939年2月11日、一部の朝鮮人の強い要望を認め、創氏改名の受け付けを開始しました。
受付期間は僅か6ヶ月でした。
地方役人(殆んど朝鮮人)が仕事をしているように見せるために強圧的に推奨したことはあったようだし、学校の先生も将来の就職などを考慮して奨励したといわれています。
それでも、結局79%の朝鮮人が届け出たが、21%の朝鮮人は最後まで届け出なかったのです。
当時の朝鮮総督だった南次郎は、強制してはならないと3回も訓令を発していました。
そもそも、朝鮮人の名前は、【姓+名】だったわけであり、創氏改名は改姓・廃姓をせずに新たに氏を創って、【(姓)+氏+名】としたのです。
その証拠に戸籍簿には本姓の記載欄もありました。
つまり、【姓+名】だった朝鮮人の名前が【(姓)+氏+名】となったのです。
次に、「文字も使えないよう強要した」という嘘について。
これも事実とは180度正反対の捏造であり、日本は朝鮮人が(朝鮮語・ハングル)を使えるように尽力したというのが事実です。
日本は、読み書きが出来る朝鮮人が増えるように、3千校を超える学校の整備など尽力しました。
日帝時代の朝鮮の小学校の授業は(朝鮮語・ハングル)で授業しているのです。
漢字・ハングル混合文は、世界最初に福沢諭吉が発案してハングル活字を作り、井上角五郎らが1886年に初めて『漢城週報』の創刊号を発行しました。
朝鮮語辞典については、朝鮮人による辞書はなかったものの、すでに19世紀末には仏と露と英によって作られていたようで、
本格的な『朝鮮語辞典』は1920年に朝鮮総督府によって完成されました。朝鮮人が自らはじめて作ったのは1939年でした。
1940年頃になると学校で「朝鮮語」の授業がなくなったのは事実だが、普段の会話等はもちろん朝鮮語で行われていました。
その証拠に、日本語普及率は終戦時でも朝鮮では20%以下だったのです。(台湾では70%超え)
よって、「自らの名前を日本風に変えさせられ、日本語を使うように強制された!絶対に許さない!」というRRの中年さんの主張は事実ではありません。
最後に、極左のRRの中年さんには、福沢諭吉先生の「脱亜論」を教えたいと思います。
『日本にとって不幸なのは、近隣に支那と朝鮮があることだ。
もともと人種的に異なるのか、教育に差があるのか、日本との精神的隔たりはあまりにも大きい。
その傲慢な人種差別思想を正当化するために捏造歴史に血道を上げるのが支那と韓国である。
たとえば国際的な紛争の場面でも「悪いのはお前の方だ」と開き直って恥じることもない。
支那、朝鮮は、卑屈にして恥を知らず、愚にして無法にして、しかも残忍無情。
もはや、この二国が国際的な常識を身につけることを期待してはならない。
日本は、むしろ支那や朝鮮との関係を絶ち、先進国と同じように進まなければならない。
ただ隣国だからという理由だけで特別な感情を持って接してはならないのだ。
悪友の悪事を見逃し関係を保つ者は、共に悪名を逃れ得ない。
私は心において「東アジア」の悪友と謝絶するものである。
福沢諭吉『脱亜論』明治18年(1885年)』
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